祈り とは

わが家には、ささやかなホーリー・コーナーがある。
お手製の祭壇で、マリア像や小さな聖画などを置いている。 

私はクリスチャンではないし、 聖書をきっちり読み切ったこともない。
ましてや日曜日のミサなど未経験な人間だけれど、
心のなかに、キリスト教への憧れのようなものがある。
なんとなく心惹かれ続けている。
いつからそうだったのかわからない。
小学生のとき、カトリック幼稚園出身の子をちょっと羨ましいと思ったこと、
教会の厳かな雰囲気、天井画やステンドグラスの美しさ、
意匠としてのメダイやロザリオの魅力。
曖昧で不純な動機ばかりだと怒られるかもしれない。

私にとってホーリー・コーナーは、小さな自己満足のかたちであると同時に、
視界に入るとふと落ち着く、止まり木みたいな場所だ。
清潔にするよう心がけているけれど、
いちいち祈りの言葉を捧げたりすることはない。
それに対する後ろめたさもない。
ただ、あればいいと思っている。


田中小実昌の『ポロポロ』は、私の愛読書のひとつ。
牧師の息子である主人公が、独自の視点で“祈り”という行動を捉えている。
主人公は、教会に集う人々の様子を「ポロポロ」と表す。

「みんな、言葉にはならないことを、さけんだり、つぶやいたりしてるのだ。それは異言というようなものだろう。…(中略)…実際には、異言は、口ばしってる本人にも他人にも、わけがわからないのがふつうではないか。うちの教会のひとは、異言という言葉さえもつかわなかった。ただ、ポロポロ、やっているのだ。…(中略)…これは、ポロポロを見せびらかし、つまりはデモンストレーションをしてるのではなく、からだがふるえ、涙がでて、もうどうにもとまらなく、ポロポロはじまってしまうのだろう。…(中略)…信仰というものにもカンケイないのではないか。信仰ももち得ない、と(悟るのではなく)ドカーンとうちくだかれたとき、ポロポロはじまるのではないか。…(中略)…ポロポロは、感じるものでも、わかる、わからないといったものでもないのだろう。…(中略)…ポロポロは宗教経験ですらない。経験は身につき、残るが、ポロポロはのこらない。」
『ポロポロ』田中小実昌 著 / 中公文庫 より抜粋

祈り という言葉すら忘れるほどに、溢れ出す。
ポロポロ、ポロポロ。
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